えーあいとか
えーあいとかをしんぽで講演、ぱねるでぃすかっしょんとか。
えーあい同士がお互いに連絡し合う世界ってもうすぐそこまで。自動運転車(えーあい)同士の
会話ってどなるの?ようわからん。
http://www.i-ise.com/jp/information/symposium/2018/sym_180214.html
[PR]
# by somuchfor | 2018-02-28 16:06 | Comments(0)
新しい標準
もう、Jamie Saft ばっか聞いてる。彼のもういっこ古いアルバム、the New Standard 購入。ディスクユニオンで。中古しかなかったのでそれを。ピアノ、Jamie Saft、ベース、Steve Swallow(ポールブレイ死んじまったな、カーラはいる)、ドラムス、Bobby Previte 。Jamie Saft ちゃんはジャズ基本なブルースロックソウルR&Bフリー。ワダダレオスミスとかとやってるらしい。マシューシップとかウィリアムヘンダーソンとか、ヨーローッパなあいつ(忘れた)連想するピアニスト。おれの連想よりももっと幅広いもの持ってると思うが。オルガンも素敵。メデスキじゃあない。

b0067590_22222004.jpg

[PR]
# by somuchfor | 2018-02-05 22:22 | jazzbluesrockreggae | Comments(0)
jamie saft
うなぎパイのような、夜の愛聴盤、Jamie Saft / Loneliness Road 。こりゃ、ブルース、でフォービート。全然知らなんだ。ベースが、Steve Swallow まだ生きてたかと、ドラムスが、Bobby Previte は知らんが、絶妙なひと。そして、全12局中3曲のボーカルが、Iggy Pop だよ、ってどゆこと?イギーがまるでヨイトマケブルースのように、明宏まるやまのように、決してミワではなく、歌うのだ。ここで知ったが、すばらしいピアニスト。ここで聞いてくれ。

Loneliness Road

[PR]
# by somuchfor | 2018-01-30 00:01 | jazzbluesrockreggae | Comments(0)
たろー
河野太郎が働いている。昔は、なんか偏屈な細かいことぶつぶつブログで言う若い男だと思っていたが、まあ、まだそれもちょっとあるが、各国外相と持ち前のコミュニケーション能力を生かして、人間力と英語力という二つの大きな武器で、ま正面から仕事をしているように思う。いい政治家だと思う。昔、外人連れて1回面会したことがある。
ごまめの歯ぎしり
https://www.taro.org/
[PR]
# by somuchfor | 2018-01-29 14:36 | Comments(0)
ふじろーちゃん2
蜜柑のはな咲きたるあさの耳ふかく時のながるるおとのきこゆる
雲はやく山を越えきて桜の葉もみあふおとのまだやはらかし
てのひらにこぼす錠剤つめたけれ鉄塔のなかに沈むオリオン
鳴く鳥のすがたさがせばおほいなる榧かやよりしたたるしづくのひかり
無縁墓頭を寄せあへるあたりにはかすかにきぞの雪のこりたり
かはたれの田におりて鳴く雲雀らのこゑかしかましひだりにみぎに
ふゆぞらに天使あらはれ鳩に影ひとびとに飢渇あまねく配れ
ききやう咲くかたへの岩にやすらへるこのひとの体臭は擦文のにほひ
空をさす尾のやはらかくうちあへりポインター二頭雪にあゆめる
垂線はかぜにたわみて降りてくる雲雀は弥生のあはき青より
枳殻からたちのぬれたる刺のみづみづし淡雪たちまちやみたる街に
蝉をとらへ仔にあたへたる母猫の眼の金色の永遠の夏

山田冨士郎、「商品とゆめ」

太古からの自然の営み、蜜柑の花が咲くそのような深い時間のオトを、山は素早く過ぎ去る雲と桜の葉がもみあうオトを我は聞きたし。
[PR]
# by somuchfor | 2018-01-18 14:48 | Comments(0)
ドヌーブ他
この話、私はまだ整理ついてないが、とりあえず、ドヌーブ他は、以下を言ってるらしい。念のために言うと以下の記事を書いたのはカトリーヌ・ドヌーヴではなく、ドヌーヴは記事に署名した100人の女性のうちの一人です。いまさらとは思いましたが、原文には「権利」(droit)という言葉は一回も使われていなかったのが興味深かったので、全訳。なお、「女性を口説く権利」として紹介された言葉は liberté d'importuner だと思われます。liberté は「自由」ですね。

importunerはうるさがらせるという意味の動詞ですが、しつこい口説きを表現する際に使われるので、「口説く」という訳になったのでしょう。

ただ、この動詞の主語は男性と限定されていません。また、口説く自由どころか、反対に口説きを断るための自由としても出てきます。

以上の理由で訳者は「ウザがられる自由」という訳語を採用しています。



私たちは、性の自由に不可欠なウザがられる自由を擁護する



性暴力は重大犯罪だ。ナンパはしつこかったり不器用だったりしても犯罪ではないが、そのことがマッチョの侵害行為を保証することにはならない。

ワインスタインの事件の結果、女性たちへの性的暴力が正しく意識されるようになった。特に自分の権力を濫用しようとする男性たちがいるプロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。 これは必要なことだった。しかしこの(被害を語る)言葉の解放が、今では反対方向に裏返ってしまった。われわれはしかるべき話し方を押し付けられ、怒らせるようなことについては口をつぐむよう命じられ、こうした命令に従うことを拒むような女性たちは裏切り者とか共犯者として見られるのだ!

かつての魔女狩りの古き良き時代のように、いわゆる普遍の名の下で、女性たちを永遠の被害者の地位や男尊女卑のデーモンに支配された可哀想でちっぽけな品物の地位へと上手く誘導するために、女性たちの保護と解放を論拠として利用すること。それがこのピューリタニズムの本質だ。

密告と糾弾にさらすこと

実際、報道メディアやソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力の加害者と同じ俎上で糾弾することだった。

このスピード審理は被害者を生んでいる。膝に触ったり、軽いキスをしようとしたり、仕事の打ち合わせの夕食の場で「私的」なことに触れたり、相手からは好かれていないのに性的なほのめかしをするメッセージを送ったりといった、それだけのあやまちで、職場で懲戒処分を受けたり、辞職を強いられたりなどした男性たちだ。

「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝のモラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性を保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

それに対して男性たちは、徹底的に意識を過去に遡って、10年、20年、30年前に犯したかもしれない「場違いな振る舞い」を洗い出し、反省の気持ちを示すように命じられているのだ。

公開の場での自己批判、プライベートな領域へと検察官の役割を自認する人々が乱入してくること、それが全体主義のような空気を作り出している。

粛清の波は限度を知らないように見える。 あちらではエゴンシーレのポスターの裸を取り締まる。こちらではモチーフが小児性愛を賞賛するものだとしてバルテュスの絵を美術館から引っ込めるように求める。 人と作品を取り違え、映画館でロマン・ポランスキーの回顧上映の禁止を求め、ジャン=クロード・ブリソー監督作品については延期になった。ある大学教員は、ミケランジェロ・アントニオーニの映画『欲望』を「女性差別」で「受け入れがたいもの」だと判定した。 こうした修正主義に晒されれば、ジョン・フォード(『捜索者』)やニコラ・プッサン(『サビニの女たちの略奪』)でさえ怯えていなければならない。

すでに我々の何人かに男性の登場人物をあまり「セクシスト」でなく書くように編集者たちから 求められているし、セクシャリティと愛について語るときは慎ましくするように、「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことをもっとはっきりさせるように(!)と求められているのだ。

馬鹿馬鹿しさの行き着く先は、スイスで提出されている法案だ。これは性的関係を持とうとするもの全員に明確な同意の通知を強制するものなのだ!さらにご苦労なことがある。二人の成人が一緒に寝たいと思ったら、携帯のアプリを使って、あらかじめ正式なリストのチェック欄を見て、やりりたいこととやりたくないことに印をつけなければならないというのだ!

中指を立てる自由は必要不可欠

哲学者Ruwen Ogienは、アーティスティックな創造に必要な中指を立てる自由を擁護した。 同様に私たちも、性の自由に必要不可欠なウザがられる自由を擁護する。 今日の私たちは、性的衝動が攻撃的で野蛮な本能に由来することを認めるのに十分な知識を持っている。しかし不器用なナンパと性的な侵害行為を混同しない十分な判断力も持っている。

特に、人間の人格というものが一枚岩ではないことは自覚している。一人の女性は同じ日に、職場のリーダーであることもできるし、「ビッチ」にも父権主義の卑しい共犯者ともならずに一人の男の性の対象になることを楽しむこともできる。

彼女は給与が男性と平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄で痴漢にあっても、それが犯罪だからといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。そんな奴は性的なみじめさを表現しただけなのだとみなしていいのだし、評判だおれだったとさえ考えてもいい。

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

性的な誘いを受けた時に「ノン」という自由は、ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たち考える。

そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。

子供を持つことを選んだ人々のために、私たちは、娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分の人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性は尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。 なぜなら私たちは身体だけの存在ではないからだ。私たちの内側にある自由は侵されることのないものだ。そして私たちが深く愛するこの自由は、危険に晒されることや責任感を持つことと切り離せないのだ。


[PR]
# by somuchfor | 2018-01-12 16:20 | Comments(0)
charles lloyd & the marvels
チャールズロイドは、会社入って、2年目くらいのころ、アナログのLP買った。ペトリチアーニと一緒にやってたやつ。フランスの天才ピアニスト、小児麻痺かなんかで成長が遅れ、背が100cmもないような身体で、おっそろしく強力な打鍵?っていうの?、を叩きまくる、へなちょこビルエバンス、マスカキおらおら詐欺師ジャレットらの張りぼてぶり痛感させくれるのが、ペトルチアーニ(ぺトちゃんはエバンス、ジャレットを尊敬していたようだが)で、彼を見出だしたのが、コルトレーンもどきの白人サキソフォニスト、チャールズロイドだった。そのチャールズロイドが、なよなよ変態ギタリスト、ビルフリゼールらと、なよなよゆらゆらとジャズやるのが、正月明けの夜に良かった。一番最後の barche lamsel っていうアフリカンなのが一番気に入った。
b0067590_21361109.jpg


[PR]
# by somuchfor | 2018-01-06 21:37 | jazzbluesrockreggae | Comments(0)
No direction home
NHKでマーチンスコセッシが監督した、ボブディランの映画が12/7と12/9の未明に放映され、それを録画したのを先週土日やっと見た。タイトルの、No direction home とは、たどり着くことのない故郷探し、という意味らしい。ディランの名曲、ライク・ア・ローリングストーンの一節にあるとか。ジョーンズバエズ、スージーㇿトロ、マリアマルダー、女達のディランをバッサリ評価がおもろかった。
b0067590_15551302.jpeg

[PR]
# by somuchfor | 2017-12-19 15:39 | Comments(0)
はる vs たか
もう月曜の相撲だが、日馬富士と貴景勝の相撲をさっき録画で見て、当然夜中に酔っぱらっておるのだが、涙出た。それくらい、お互い真っ直ぐな恐ろしいくらいの突っ込んだ低いごつんがちんと鈍い音がする(くらいの)立ち合いで、貴景勝が金星で勝った。勇気を持って、時に大けがする覚悟も持って、相撲とってる力士同士の真剣勝負。いい相撲だった。相撲ってそもそも暴力と暴力のぶつかりあいなんだよなあ。
[PR]
# by somuchfor | 2017-11-15 01:14 | Comments(0)
chicago2
シカゴ市のIT総帥、CIO、DuMerer女史と意見交換。多様なデータの共有化に対し、各部局の消極的態度サイロ化等の問題あるが、市長のリーダーシップ、大学、研究所、企業とコラボ、市民の巻き込み、積極的参加促し政策など、あらゆるステイクホルダーたちとコラボコラボコラボ、日本も参考にすべし。
で、初めて来たシカゴ、最も憧れのシカゴは、ジャズそのものを教えてくれた、アートアンサンブルオブシカゴであり、その母体のジャズNPOである、AACM、親分リチャードエイブラムズだが。明日土曜、行けるか。夜中にwwtwというPBS、アメリカ公共放送あり、おもろかった。これは備忘録。
ホテルの窓からの紅葉が美しい。



[PR]
# by somuchfor | 2017-10-28 17:07 | Comments(0)