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鬼六
鬼六_b0067590_1301393.jpg団鬼六という作家がいる。もう70くらいのジイサンだが、時々、新宿のオレがいく界隈に着物を着て、なんか若いオンナ連れでひょこひょこ歩いてるのを見たことがある。SM作家ということになってはいるが、内容は、ソフトSMとでもいうもので、マルキドサド公爵とか、もっと性的にはバタイユのような西欧人的過激にはほど遠いように思う。
で、団鬼六のSMは日本人の性的劣情を十二分に刺激するものだとは思うが、それはさておいて、オレが好きなのは、彼のエッセーというかコラム的に記された、「無頼」なるものへの可憐さ、哀しみの綴り方である。
彼に教えられた情報のひとつに、将棋指しの無頼性がある。オレは団鬼六が持つ将棋指しの無頼のファンタジーに全面的に同意した。どういうことかというと、まあ、つまり、将棋という、この人間生活に全くなんの役にも立たない、ただのゲームに、その役にたたなさ、価値の無さを全面的に認めた上で、なおかつ、その一介のゲームにのめりこんでしまう、という、つまり無頼性である。博打でもオンナでもサケでも良いかもしれない、無頼に関して同じアナロジーはあるのだが。しかし将棋には、博打にもオンナにもサケにもない、もっと弱弱しくて、だからこそかすかに人間的に爽やかにリアルであるという無頼があると思う。博打のように大金が転がり込むといことはないし、いいオンナを獲得した時のような虚栄心と性的欲望の充足はないし、サケによる精神的誇大妄想の満足もない。将棋とは、その1局で言えば、ただただ、クライマックスに向かって、斬るか斬られるかの果ての虚脱感である。2人でマスターベーションをやってるようなものかもしれない。その不思議な感覚にのめりこむと、一瞬、現実の世界は遠のき、必要なくなる。団鬼六のエッセーは、その一瞬のファンタジーと一方、厳然として横たわる現実世界との裂け目を、哀しく面白く描く。
えー、シチリアの980円の安白ワイン1本と酔鯨で酔っ払った。あっ、無頼な将棋指し、小池重明のこと書きたかったんだが。また今度。
by somuchfor | 2005-09-19 00:42 | ブンガク | Comments(2)
Commented by brsjazz at 2005-09-19 23:11
>ふたりでマスターベーションをやっているようなもの

よいですなあああ。むふ。
Commented by somuchfor at 2005-09-21 12:55
よくわからん比喩でスンマセン。
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