人気ブログランキング |
松田で覚えてること
松田直樹が、先日死んだ。34歳?だっけ。彼の死を悼むという言葉は、また、亡くなったという単純な死への丁寧語さえも、彼が死んでから今でも、なんだかすごく白々しい言葉と感じてしまうので、使いたくない。ただ死という事実がいつものように誰にでも起こるように起こったということだけを感じよう。松田直樹で最初に覚えているのは、日本でU-17世界大会が行なわれた、日本代表の試合だ。確か、監督は国見の小嶺監督だった。中田英寿も出てた。彼ら同い年かな?中田の方が1歳くらい若いかもしれない。他のメンバーは国見のFWの船越とか、読売の財前とか。日本は、この大会で17歳以下とはいえ、世界大会で初めてベスト8まで駒を進める。真夏のお盆のころじゃあなかったか。軽井沢か山中湖かどっかのホテルで暑い中、遠くに花火見ながら、日本が準々決勝でカヌーとかいたナイジェリアに負けたのを思い出す。2年後のU-19も松田は中田と主力メンバーとして出場し、ベスト8という画期的な結果を残した。準々決勝はブラジル戦で、われ等が神戸同郷の滝川二校、奥大介が先制点(だと思う)を挙げた。これはちょろっとテレビで放送されたと思うが、奥のドリブルはブラジル相手に本当に切れてた。ジュニアとはいえ、ベスト8は当時(1995年)ワールドカップ出場が夢だった日本にとってほんとうにすごいことだった。彼らは、そこでライバルとして、スペインのデラペニャやラウールやナイジャリアのカヌーと対等に戦ったのだ。そして、アトランタでは、グループリーグで負けてしまったが、ブラジルに勝ち、シドニーオリンピックでは、ベスト8、そして、2002年日韓ワールドカップでは、本大会に進み(これがそもそもすごいことなのだが)、ベスト16。この日本サッカーの成長ととんでもない結果をもたらしてきた代表選手たちの中心の二人が中田と松田だったのだ。松田のとっぽいとことか、カントクと常にトラブってきたとことか、ファンに愛されてたとかは、あんまりどーでもいいな。今日のように、やっぱりじとーっと暑い夏の夜、テレビで、まだまだひょろっとした体格の16際17歳中田と松田が2人、日本代表のユニフォームきて、16、7には見えない冷静さと闘志で、ピッチを走ってた絵が、今のここにいたる、世界のトップとまともに戦えるようになった日本のサッカーの原点だったのだなあと思う。
by somuchfor | 2011-08-18 14:56 | FootBall | Comments(0)
<< ヤサグレ綱島ダイブバー 写真アルバムを修復する >>