藤沢秀行が死んだ。5月8日。83才。囲碁はあんまり知らないけども。その生き方が、でかかったヒト。4年ほど前のNHKのその時現在形のシューコーさんの生活ぶりが不良老人てな具合で良かった。「痛烈に生き、囲碁界で多くの記録を作り、人に鮮烈な記憶を残し、天衣無縫、芸道一筋、波乱万丈。酒と女と芸とギャンブルと多額の借金。癌と闘い、書をよくし、多くの弟子を育てて、なおかつ長生きされた。我々凡人に真似できない」とはかんべいさんの言葉。私の勝手な印象は、哀愁と可憐を持ち、含羞を知る無頼のひとだ。いや無頼とはそもそもそういうことなんだが。
以下はwikiその他に載ってた秀行エピソード。 ・多額の借金を抱えていた時期の第2期棋聖戦では加藤正夫に1勝3敗と追い込まれ、第5局開始前には「負けたときに首を吊るため」枝振りのよい木を探しながら対局場に向かったという。この碁で藤沢は一手に2時間57分という記録的な大長考を払った末、加藤の白石を全滅させ気迫の勝利を収めた。 ・将棋棋士の芹澤博文は「弟分」と呼ぶ仲で、飲み仲間でもあった。二人が酒の席で「囲碁・将棋の全てを100としたら、自分たちにはそのうちどのくらいをわかっているか」を紙に書いて見せ合ったことがある。芹澤は「4」、藤沢は「5か6」と書いていて、藤沢は「自分は思い上がっていた」と反省したという。 ・女好きで、愛人の家に入り浸って自宅に3年間帰らなかった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。 ・酔っぱらったら「『お』で始まる四文字」を連呼する悪癖があり、鄧小平と面会した際、あろうことかベロンベロンに酔っぱらっており「中国語ではお○○このことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。 ・ 関東近郊のどこかの競輪場に、金網が大きく歪んでいる場所がある。最終レース、シューコーさんが一点250万円を賭けたレースで、賭けた選手がきわどく差されそうになった。秀行先生、目の前の金網を掴んでぐっと引き寄せ、「ガマーン!ガマーン!」と叫んだためにそうなってしまったと。これを称して「秀行がまんの金網」と言い、今も残され名所になっている。 ・米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた。 ・棋聖戦6連覇の間に借金のために自宅を競売にかけられたが、「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と語った。 ・秀行先生は80歳の今でも毎日、棋譜を並べているというが、自分のタイトル戦の棋譜を並べているときに、「穴があったら入りたいほど恥ずかしくなるのは『勝ちたい』という自分のだらしなさが感じられるときだ」と書いているところには素直に感動。
by somuchfor
| 2009-05-11 10:05
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