赤坂-新宿
27日水曜、ここ2ケ月ほど準備してた仕事が赤坂でやっと終わって、9時半くらいから近くのジャズバーで飲む。1年振り。ここは、ママさんが渋谷の道玄坂で、親父が新宿で、それぞれこだわりもってジャズバーやってたが、新宿も渋谷も店の周辺環境があまり良くなくなってきたので二人で赤坂で一緒にやりはじめた店。音楽は、ごりごりのジャズきちではなく、甘甘のポップさもない。音が良くて大きい。そういえば昔、ママさんとビルエバンスの悪口で盛り上がった。ジョンヒックスの方が百倍偉大なピアニストだと。でもジョンヒックス自身はエバンスを尊敬してるんだろうなあ。グランダッド・ボンデッドを2杯飲む。かっこいいブルース?ジャズ?かすかなロックフレーバーなギターが響いてたので、親父に何かと聞いたら、アップチャーチだと。まあエリック・ゲイルとかコーネル・デュプリーとか、そんな感じかなあ。でもこれはスタッフの音とも違って、もっとジャジーにブルースだ。ジャズはブルースだと思いました。で、細腕ねえちゃんに会いたくなって、新宿へ。おねえちゃん、他の客に忙しく、あまり相手してくれず。グランダッド2杯飲んで早々に退散。
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# by somuchfor | 2004-10-30 18:21 | jazzbluesrockreggae | Comments(0)
言葉スター高村薫批判
たまたま大阪の実家に帰ったら、朝日新聞なんて普段読まない新聞がおいてたので読んでしまった。そこで論陣を張っておったのが高村薫さん。小泉とか言う人のワンフレーズ・ポリティックスや携帯メール言葉を例にして、言葉が衰弱しているだと。高村薫さんの小説は好きなのものもあるが、でもこのご高説にはあきれた。このご高説そのものが、少なくとも高村薫さんの衰弱そのものに他ならないんじゃないの?言葉が衰弱しているとしたら、まず自分の同業者の力足らずを疑うのが筋でしょう。小泉ごとき?携帯メールごとき?で言葉の錬金術を業とする人間が、言葉の力の存在を疑うのか?あるいは、まったく逆に、そもそも言葉に真の価値が本当にあるのかどうか、おまえは疑ってみたことがないんじゃないか?言葉は逆説的な存在だぜ。まずもって、言葉にはなんの力もなかった、と言葉呪術師の張りぼてを暴き、その存在を否定したところから我々近代の言葉は始まったんじゃなかったの?もちろん呪術ごときは、言葉を生業とするひとなら、誰にでもできる可能だという前提があるんだよ。小泉の言葉を気にいらねえんなら、小泉のスピーチライターとして日本国民を思う存分だましてみろよ、などなどと思わず悪態をついてしまいました。言葉に生きる人間として、志、低いと思いました。演技派俳優が、小泉の演技がひどすぎるって、日本の演技の衰弱を嘆くか?ってことなんだが。
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# by somuchfor | 2004-10-25 18:22 | 青年の主張 | Comments(0)
渋谷、そしてまたまた新宿
22日金曜日、渋谷の飲んべい横町おでん屋で、さんま塩焼き、日本酒を2合。日本酒は新政とかいう酒。さんまはうまい。世界中の人に食べてもらいたい。となりの兄ちゃんに、さんま伝道士やりたいくらいだな、と同意を求めたが、パッとしなかった。そこ出て、向かいの時々行く店を覗いたが満員で、またまた新宿へ。いつものグランダッドのおねえちゃんとこで、グランダッド2杯?他に客は50くらいのおっさん(おれも40半ばだが)と30過ぎの若者か。AV話ですこしだけ盛り上がる。豊丸とか黒木薫とか。しかしエロ話をひとの前でどのように、いかように話するかっていうのは、ひとそれぞれ流儀あって面白い。しかも、オトコだけでなく聞いている中にオンナが混じってると、これまたひとそれぞれ。おんな口説くためにわざとエロ話することもあるし、単に自分の自慢話するためだけだったりするし。私としては、やはり、荒唐無稽なエロ滑稽譚と有益なエロ情報交換会、および、自己のエロ価値観の開陳、そのエロ価値観同士のバトルだけを目指しとるわけだが、そんなめんどくさいこと考えてるひとはあまりいないかも。と偉そうなこと考えてる間に、「昔は、プレイボーイのぴちぴちしたジーパンはいてる女の子見ただけで興奮したのになあ」、と言ったら、50のおっさんか、30過ぎのわかものかが即座に「平凡パンチだろ」と言われて斬られてしまったのであった。そこから、きれいなおばあさんがやってる店でジャックダニエルを2杯。1時半に出る。エロ話できるかもおやじさんの店にいこうとするも既に消灯。隣の店を覗いているとなんとそのおやじが後ろに立っていてびっくりする。この横丁の新聞編集長で店の写真取るとかで、格闘技系の店で1杯、そしてまたまたグランダッド店に戻る。また1杯頼むが、撃沈寸前。店出たのは2時半か。
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# by somuchfor | 2004-10-23 18:23 | エロ | Comments(0)
また新宿
昨日21日また新宿へ。美人のおねえさんとこでまず浦霞コップで2杯。店変えて、長期海外放浪から帰還されたおねえさまのところでハーパー2杯。ハノイから30分ほどの島が、山水画、水墨画の世界ですごく良かったとのこと。そこから話しどんどん飛び、ブランクーシまで。で、また店変えて、細腕ねえちゃんの店へ。グランダッド1杯と桜島1杯。で帰る、と思ったが桂花を食ってしまった。腹の出ぐあい気にしながら。
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# by somuchfor | 2004-10-22 18:24 | 飲み屋 | Comments(0)
上司との酒
19日は、会社の上司、仲間連中と近くの居酒屋。もどりがつおに、ビール1杯、酒2杯。40にもなってますます人間ができていないので、上司と飲む酒が、いよいよ不味い。いや、単に気の会わない人間と飲む酒が不味いだけのことか。もともと気の合う人間なんているとも思っていないのだが。もちろん、誰の責任でもない。しかし、気が合わないし、まずい酒のくせして、飲むかと言われれば、もちろん喜んで飲みにいく。家にさけがなくて、あれば料理酒でも飲むというあの気持ちかも。立ってるものは猫でも使え!と。違うか。
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# by somuchfor | 2004-10-21 18:24 | Comments(0)
キリンシティでにぎす
18日、大森のキリンシティでビール2杯。にぎすを焼いたものとジャコ天。キリンシティは結構よくできてる飲み屋だと思う。大井町に行って、ときどき行く居酒屋へ。サケ一合、焼酎白波ロック1杯。おやじとヤンキース松井ネタで盛り上がる。ゴーヤチャンプルーと最後に暖かいそーめん。うまかった。しかし酔う。睡眠不足だからか。弱い。
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# by somuchfor | 2004-10-19 18:25 | 飲み屋 | Comments(0)
新宿
15日金曜日、新宿へ。ジャズ聞きながら飲みたくて、最近そこはかとなく気に入ったジェフ・パーカーを持って、親父にかけてもらう。親父は、ジェフちゃんはいっぱいもってるよと、シカゴ・アンダーグラウンドのジェフを出してくる。聞きながら、オールドクロウをロックで1杯、親父推薦の桜島を1杯。次におねえちゃんが細腕ひとりでやってる店へ。グランダッド2杯。ぐちはだめだ、というぐちを若者に話す。店がいっぱいになってきたので1時半ころ出る。飲み足らず地下のロックバーに入るが、スーツリーマンはいかにも場違いな気がしてビール一杯で退散。
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# by somuchfor | 2004-10-18 18:25 | jazzbluesrockreggae | Comments(0)
オレは
オレは新宿花園神社の裏のローソンのトイレに間に合わなくて、結局そのトイレでパンツ買って交換した。もうブログを始めてたけど...書けなかったなあ。このひとエライ!
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# by somuchfor | 2001-04-16 11:24 | Comments(0)
時代小説を読んで思うこと
最近、時代小説を読む。小説は、学生の頃から手当たり次第に読んできた。しかし50歳前後になってから、時代物に対する私の感じ方が少し変わってきたように思う。

時代小説を読むことになったきっかけは、亡くなった父親の書棚を整理していて、その中に山本周五郎があったことだ。母親が処分しようかというので、捨てるくらいならと思って、周五郎を読み始めた。山本周五郎の名前は知っていたが、戦前の価値観を引きずった、過去のものくらいにしか思っていなかった。しかし、読んでみると、そこに出てくる、武士、商人、百姓、男、女が、生き生きと動いているのにはびっくりした。人格高潔なものもいれば、卑屈なものもいる、賢いものも、愚かなものもいる。そういう人々が、主に江戸という時代で、厳しい身分制度などの様々な制約の中で、その中であればこそ、懸命に生き、死ぬ、そういう物語が、豊穣に展開されていた。小説形式も様々で、人情小説から政治小説、ハードボイルドなど現代的とも言える小説意匠で、主に江戸というある過去の時代に生きた日本人を溌剌と描ききっていた。

「樅の木は残った」の原田甲斐は、歴史的には逆臣とされてきたが、周五郎は、幕府側の陰謀を、私を無くして自ら逆臣の汚名を引き受け、伊達藩お取り潰しから救った忠臣として描く。注目するべきなのが、純粋な人間性の象徴として描かれる野生人としての原田甲斐だ。山に奥深く分け入り、大自然と交歓し交流する、自然人としての一面が彼にはあった。特に山中、自然界の主とされる大鹿との対決の描写は圧倒的で感動的だ。その純粋性が彼に、権謀術数の幕府の外様大名締め付け政策に対して、最後に一命を賭した行動に出させる。その結果、伊達家はお取り潰しを免れるが、原田甲斐含め彼の一族は死罪となる。歴史上、原田甲斐が忠臣であったか、逆臣であったかは、今もって謎だ。しかし、周五郎が描く忠臣である原田甲斐の劇的な行動が発するメッセージは、野生人の顔を持つ原田甲斐という補助線を得て、組織、社会と個人の間で生きるわれわれ現代人にも、内なる野生を持って、無私の精神で組織、社会を生きろと鮮烈に響く。

周五郎の小説の根底に流れる、野生の純粋性の尊重、自己犠牲の上での無私の精神の発揮といった価値観は、現代人にとっては、一見、机上の空論のような理想論で、きれいごとでしかないと否定されるかもしれないが、あらゆる公(おおやけ)の物事の推進は、この価値観でふるいをかけられた上でこそ信用され遂行されうると、50歳を越えて特に思うようになっている。
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# by somuchfor | 2001-01-02 00:00 | Comments(0)
青が岳山荘写真
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# by somuchfor | 2001-01-01 00:00 | Comments(0)