カテゴリ:青年の主張( 22 )
時代小説
去年の夏に業界紙からなんかうめくさ原稿書いてくれっちゅうので、当時のぐちゃぐちゃ政治をちょっと意識して山本周五郎、樅の木は残ったのカンソーブンを書いた。今読んでもまあまあいいこと言ってるので、これをご参考まで。
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by somuchfor | 2013-05-22 09:55 | 青年の主張 | Comments(0)
はれおとこ
晴れおとこっていうの自慢げに言うやつ、よくいるなあ。先週だったか、うちの会社のトップがおれは晴れオトコなのに明日は雨が降るらしい(土曜のゴルフ)。誰か雨オトコがいるに違いないって秘書に文句たれてた。ばかじゃないのか。晴れおとこって自慢してるんなら、雨ならそれも自分で責任取れよって思う。仕事でもおんなじことやってんじゃねーのか?ねっ、全国のハレおとこさん達よ。「晴れおとこ」ってのは存在しない。愛なんて言う幻想が存在しないように。日本固有のなにそれ文化って虚妄が存在しないように。そもそも、1年のうち晴れの方が多いんだから、全世界の全員がはれオトコ、はれオンナなんだよ。しょーもないこと自慢するなよ、普段はいいこと書いてるんだから、ねえ、さとなおさん。あんまり晴れてて窓際で、その族の私の席が暑いんで、ついかっとなりました。中島義道みたいになっちゃった。
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by somuchfor | 2009-03-16 16:52 | 青年の主張 | Comments(0)
沢木
このひとつ前のエントリーの大阪ばなしを完成してないのだが、沢木耕太郎の無名という、彼のとーちゃんの話を読んだので、書きたくなりました。でもこれも完成するのかな。
沢木ちゃんは、なかなかナゾの書き手である、私にとって。それはallwaysいい意味ではありまっせん。
彼は、この世の真実を、あるいは、現世の深奥を求め、それを描く、えぐる、表出する、そのための手段に、フィクション、つまりは、「虚構」という、自らが神となり創造主となりもうひとつの世界、つまり虚構の世界ですね、その世界を作りあげるということを断念し、ノンフィクンション、ファクト、事実の世界を我々にレポートすることを意思的戦略的に選んだ。
そもそもフィクションを断念する世代が、日本の文学史上出現したのは、大正後期だ。ブンガクすることの倫理に自らに忠実ならんとして、にもかかわらず、必然的に、そのブンガク上の表現方法が、フィクション虚構、まあ、具体的には小説ですね、それを書くことができず、彼らは、文芸批評、ブンガク批評、さらに謡わない「詩」に向かった、のが、小林秀雄、河上徹太郎、さらに中原中也、青山二郎も入れちゃっていいかもしれんその周辺の集団だ。社会学的には、日本に、急速に、都市の住民が成長し、それまでのイエ社会のくびきから離脱した、直裁に行ってしまえば、ルーツを持つこのできない根無し草にならざる得ない、あるいは、根無し草に自ら志願し、あこがれるある層、チンプに言ってしまえば、全的ジユウを求めるある社会的集団が生まれた、そのジユウが、それ以前のこつこつフィクションつくるなんて、しゃらくせー、結論すぐ出せ、のせっかちな、批評、に向かったのだと思う。

(ここから、ワタシのイメージ徒然草で、ロジカルな文章ではありません。今後のたたき台)

いやだから、その日本のブンガクの進化の一形態として、フィクションを断念した沢木クン、それはヨシとしましょう。でもね、にもかかわらずその時々、ことばの端々に、我々読み手にフィクションを作り上げたい、ロマンスを謳いあげたいというココロ感じさせるのは、どうなんざんしょ。ソリャー甘いんじゃない。もっとストイックになってもらいたい、とワタシは強く思う。中上健二にしても、高村薫だって、甘いけどももっともっと厳格だよと思う。ちゅうことなのだが、実は、この沢木っちゃん、ワタシの苦言を、全然気にしていない、ようにも思う。B型、天然なのかもしれん。すっごい厳密厳格ストイックに見せて、しかしぽろぽろ出す。まるでそこが、そもそも、オレのノンフィクションだ、と言わんかのように。それが、ワタシにとっての沢木のナゾだ。深夜特急の一部と、一瞬の夏はわかるが、その他は、わからん。いや、おもしろくは読めるけども、青春パノラマ文庫とか、ハーレクインロマンスに思えるのだ。ハーレクインまだあるか?
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by somuchfor | 2008-01-24 00:08 | 青年の主張 | Comments(0)
政治
政治について。
我々は、つまり日本人は、政治的行為を政治的営為をもっともっと尊重すべき。政治家自身もその政治家を選ぶ我々も。冷笑と傍観からは何も生まれません。で、さらに言うと、政治というのは、権力闘争であって、権力の行使をどのように配分するかとどのように制限するかどのようにだれに与えるかをめぐっての闘い。政治を尊重するとは、こういう闘いだというその現実を好きにならなきゃいけないということ。そうでないと、結局我々の生活はよくならない。長い目でみて。ほんとに。
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by somuchfor | 2007-09-23 10:57 | 青年の主張 | Comments(0)
ナルシスト
オトコのナルシストは気持ち悪いだけだが、オンナのナルシストは、まだ目があるよ、と言いたかったのであった。でもそういう本質は、簡単に言ってしまっては、身もふたもなく、おもしろくもないので、さらにその店に入ったときは、3件目で相当酔っ払っており、バは盛り上がっており、何かツカミの一言を発せねばならぬという使命感にも駆られ、で、この世界のすべてのオンナ化という、人類の弱体化、今そこにある危機なるものを、我々は、断固絶対阻止せねばならぬ、という論陣を果敢にも、張ったのであった。ジャあおめえの言う、オンナってなんなのさ、とくる。で、とっさにクチに突いて出たのが、このそこの新宿が嫌うすべての価値観を、全部ひっくるめて、「オンナ」ということだった。ここの新宿がバカにしてるすべてのものが「オンナ」だって。あらゆる世俗化は「オンナ」である。現実そのものが「オンナ」だ。石原慎太郎は「オンナ」だ。宗教はオンナだ、風呂はオンナだ(ワタシ風呂嫌いです)、とだんだんワタクシの嫌いなものすべてを「オンナ」にしていくと、細腕ネーチャン、ほんとに怒って、デキンだよーおめーはと。デキン、出入り禁止のこと。はい、失礼しました、申し訳アリまっせん、と一応反省するが、酔っ払いは、サイテーなもんで、もう1杯飲んで、元気つけて、オマエも、もっとオトコにナレヨー、とオネーチャンに、去り際に最後っ屁の声かける。ほんと、失礼しました。4月はじめのできごと。
現実そのものであるオンナたち、常に現実と格闘し続けた上でそうなっちゃう、そういうオンナたちのナルは、であるがゆえに、一皮むけると、いいオトコにナルかも。
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by somuchfor | 2007-04-26 21:57 | 青年の主張 | Comments(2)
照柿
高村薫の照柿を読む。
こんなこと言っちゃあ、高村小説の女性ファンにどう思われるかわからんが、高村小説は、常に高等なホモ小説である。それも、女性の目から見た、ホモへのアコガレ小説である。高村薫はオンナと男性の関係を書くことに、おそらく興味はない。常にオトコとオトコの情痴関係(精神的な、ね)を描く。出てくるオンナは全く虚ろで、影のように存在感がない。こんな女性差別な作家も珍しい。いや差別ではなくて、単にオトコとオトコたちの思い、こがれ、嫉妬、ねたみ、怒りに彼女は興味があるのだ。高村小説ですぐ連想するのは、宝塚の男役や、少女マンガ、っつうか、レディコミだ。あれ、だんだん悪口みたいになっているようだが、そうではない。オトコとオトコの関係は、オトコには客観的に描けない。オンナの視点からこそ客観でき、ロマンとなる。高村小説は、そんなオトコたちを極めて、繊細に、剛直に描いて存在している。そして、それは、リヴィエラを撃て、と、李欧では、美しく結実していたと私は評価する(おれの評価なんて聞きたくない?許せ)。そして、照柿では、彼女は、もっと深奥を求めたようだ。それは残念ながら成功しなかったと思う。
真実は、多分、もっと奥だ。

ジャックダニエルお湯割り2杯飲みました。ブラッドレイズのケニーバロンで。
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by somuchfor | 2006-12-24 23:45 | 青年の主張 | Comments(0)
自殺
いじめられるので自殺するという。こんなことを書くと、怒られそうだが、私は自殺が好きではない。百歩譲って、自殺するしかなかったとしよう。しかし例え中学生だろうと、自殺は文字通り、自らの命を自分の手で絶つことだ。それは、自分の責任だ。誰の責任でもない。自分で死ぬことを他人の責任にすることは、まったくもって恥ずべきことだ。自分で死ぬことよりも他人に殺されることの方がまだ尊い。自ら命を絶つということは、まず第一に生命の冒涜であること、そしてその行動を他人の責にすることは卑怯千万であること。そのことを皆、肝に銘じた上で、まだそのことを十分に教育できなかった我が不明を恥じながら、我々は亡くなった子の魂を慰謝すべきだと思う。もうひとつ言いたいのが、いじめられて自殺する子の責任は、第一に教育委員会の責任でも、校長の責任でも、文部省の責任でもない。まずその責を問われる、いや一人の親である私として問うのは、自分の、親であるワタシの責任だ。もしおれの子が自殺したら、おれは、自分を責めるだろう。そして他人を責めることなんてできない。いけしゃあしゃあと親である自分以外の他人を責める親の顔を是非とっくりと見てみたいといつも思う。

むかし、新宿の2階のジャズバーで、自殺する奴は、毎日自殺をなんとかして回避して生きているおれたちに対する裏切り行為だ、そんなやつは絶対許せない、っていったら、おまえは甘アマのお坊ちゃんだからそんなこと言えるんだよ、坊やはだまっていな、怒られた。聞いたとこによると、ままの親友が昔自殺して亡くなったらしい。
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by somuchfor | 2006-10-31 23:14 | 青年の主張 | Comments(2)
虚構
わたしゃ、虚構の力を信じるヒトである。現実、実生活はそれはそれとして、大事だが、それとは全く別に、この私というものを動かす、抽象的世界の力が存在する。音楽だし、コトバだし、映画だし、将棋かもしんない。いや、なんかのおばけかもしれない。それらは、現実の世界にまったく無力だが、私を動かす。そしてその私は現実世界に生きている。私を通じて、その虚構の世界と現実界がつながっている。はっきりしてるのは、虚構の世界と現実の世界は違うということだ。大事なのは、その全然違う、両方の世界を、おれが、あなたが理解できるということだ。人間はそういうもんなんだなあと思う。
サケはどっちだろ?
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by somuchfor | 2006-05-07 23:16 | 青年の主張 | Comments(2)
山と渓谷
山野井さんの特集をしている「山と渓谷」3月号を買う。もう4月号売ってるが、バックナンバーがまだあって良かった。(山野井泰史ロックな恋愛突然ロックな恋愛2ロックな恋愛3、参照)。山野井の山バカぶり、その孤高でいて、無償の天真爛漫な純粋さに何故か泣いてしまう。どうして、こんなヒトが普通にこの世にいるのかなあと。買いかぶり過ぎ? いや、いや。ほんとにムネが熱くなる。
今日は、谷川、森内の名人戦の第1戦。これから将棋会館の解説会へ行くべきか、行かざるべきか。
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by somuchfor | 2006-04-12 18:43 | 青年の主張 | Comments(0)
オトコとオンナ
ワタクシ的には理想というものがあって、つまりオトコもオンナもなしにつきあいたい、という理想である。そりゃ、エッチは出っ張ってるところと凹んでるとこの関わりあいだし、生理的肉体的相違は存在いたすでしょうが、それはそれとして、このジンセイへのポジション、スタンスにはオトコも、オンナも違いはないでしょうよ、という理想である。もちろん個人差は当然あるが、しかしそれはあくまでも性差とはまったく別物の個体差である、ちゅうことだ。まあ、肉体的性差以外の一切の性差の否定、である。そういう風にアイシアイタイと思っているのだが。これはオトコであるおれの幻想か。オンナを武器にしないオンナとオトコを売らないオトコ。いや、いいんだよ、オッパイ出てても、ケツが張ってても、またぐらが裂けてても、おれはそれに欲情するし、時々エロビデオ返し忘れて、オンナに張っ倒されるし、それはあるがままで良い。しかし、そのオンナに居直らず、そのオトコに開き直らず、ヒトであるべきだ。深夜の酔っ払いのたわごとであるべからず。
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by somuchfor | 2005-11-01 00:38 | 青年の主張 | Comments(0)