カテゴリ:思い出( 12 )
極私的オリンピック
北京オリンピックも後半戦、陸上競技に突入で、800、1500では、セバスチャン・コーとスティーブ・オベットの対決なんかを未だに懐かしんでる私ですが、古すぎる、じゃあ1万のゲブレセラシェの走りは?、これも古いか。つーことで、60年生まれの、私的オリンピック回想なぞをちょっといたしたいと思います。私が一番最初に覚えているツモリ?なのは、国立競技場のトラックで円谷がヒートリーに抜かれるところ。タンスの上にあったちっちゃな白黒テレビの映像記憶だ。68年のメキシコは、走り幅跳びでビーモンが大跳躍をしたが、その後の喜びの2度3度のジャンプもすごく飛んでいたような気がする。高地ってすごい。マラソンの君原が銀メダルを取った直後のインタビューでは、インタビュアーの興奮と比べ、君原が冷静に、いや私は期待されていませんでしたから、軽く言ってのけたようなこれもそいう気がする(ミュンヘンかな)。君原ってオモロイナーと子供心に思った。わたしは興味そんなになかったが、親達は体操女子のチャフラフスカに妙に同情していたのを不思議に思っていた。68年当時はプラハの春の後、ソ連がチェコ侵攻を行った直後で、チャフラフスカや人間機関車ザトペックがチェコのプラハの春の民主化を強く支持していたことを知ったのはそれからずっと後。72年のミュンヘンは、テロでイスラエル選手とコーチが救出されず死亡した。でもその直接の生々しい記憶はあんまりない。よく覚えてるのは、バレーボール男子の金メダルの瞬間を大興奮で夜中見ていたこと。優勝を決めた瞬間、横田、森田、大古、猫田ら皆が立って飛び上がって抱き合いながら喜んでいたのに、バイプレイヤーの島岡がコート上で、寝っ転がって、えびぞり状態で喜んでいたのを見て、こういう喜びの表現方法もあるんやなーと感心してた。水泳は、男子平で田口信教、女子バタで青木まゆみが金をとった。青木が金をとった時は、同じドイツで大昔金だっけ、とった前畑の前畑ガンバレの実況中継が比較されて何度も流された、と思うんですが、多分な記憶です。それから体操の塚原が月面宙返りという大技をやってのけて、宙返りの英語はサルトだと思ってたら、それはドイツ語で、英語は、サマーソルトらしい。マラソンのフランク・ショーターはほんとに強かった。ミュンヘンでも危なげなく金だったが、この前後の福岡国際マラソンで、彼は福岡の田んぼの国道を走っていて急に横に入って、大の方の用をタシテ、それでも優勝してしまうという離れ業をやってしまっている。わが尊敬するアスリートの1人だった。そのショーターも次の76年のモントリオールでは、東ドイツのチェルピンスキーに負けてびっくりした。マラソン2連覇って難しい。えー、仕事中なのでひとまず中断します。この後、最初に言った、コー、オベットや、200ってのも好きなんだけど、メンネア(イタリア人なんだよね)、フレデリクス、クリスティ、それから女子短距離でハードルのディーバースとか90年代の選手はまた今度(いつになるかわかんないけど)。
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by somuchfor | 2008-08-18 16:54 | 思い出 | Comments(2)
夕日と拳銃
ブログ書いてなかった。毎日飲んだくれすぎて書いておりませんでした。申し訳ありません。

で、昨日は久しぶりに、新宿の細腕ねーちゃんとこに行った。8時ころ、やってるかなあ、と思って店はいると、客は誰もいなくて、カウンターの奥でひとりネーチャンは太い本読んでた。おれが入ると、おっ、とか言って、ねーちゃん本閉じて、わたしはハーパーを入れてもらう。何読んでんのと聞くと、檀一雄の夕日と拳銃だという。客に進められて探すが、本屋にはなくて、図書館の全集借りてきたとか。檀て、高校のころ、リツ子その愛とかいう変な題名のお袋の本を読んだような気がするが中身全然覚えていない。檀氏とはそれだけだ。でもこの夕日と拳銃、何故か懐かしい気がする不思議なタイトル。ネーチャンと、この街の2階のジャズバーのおやじがまた中国行ったとか、美人脱サラままとかの話をゆっくりする。ジャズバーの常連だったHが来たらしい。全身真っ白に塗ってフリージャズオーケストラで踊ってたHは、おれが初めて行ったそのジャズバーで隣に座ってよっぱらって、コルトレーンのマイフェバリットシングスを歌っていた。Hとはそのバーでたまーに会ったが、そんなに親しくはない。向こうは覚えてもいないだろう。でも、おれには懐かしい奴。今はどこかでそば打ってるらしい。ハーパーをぱかぱか3杯くらい飲んで、客が来たので退散する。すっと、砂時計の砂が落ちるべきとこに落ちて静かになるような、そんな気持ちになった。
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by somuchfor | 2007-03-25 20:58 | 思い出 | Comments(8)
スティーヴィーな立ち飲み
以前、ジャジーな立ち飲みであったここに、行く。21日げつよーび。月曜日っていうのは、飲みにいきたくなるなあ。今日は、スティーヴィー・ワンダーばっかりだ。前もいた、ミュージシャン崩れのおっさんがきちんとスーツ着て、最近スティーヴィーちゃん、娘連れて日本に来たよ、テレビで見たとか言っている。アイシャかな。"Isn't She Lovely"は歌ったのか。前書いたかもしれないが、彼の蓄膿症っぽい声がムカシは嫌いだった。ウタうまいとは思うが。高校生の頃、26、7年前になってしまうのだろうか、FMかな、ビート・オン・プラザという番組でのアルバム紹介で、スティーヴィー・ワンダーの「愛の園」というサントラアルバムが紹介されてて、これは気に入った。不思議な美しい物哀しいメロディがキーモチーフでいろいろアレンジされて、何度も出てくる。カセットに録音してたけどどこへ行ったか?日本酒3杯に、もつ煮込み、ポテサラ、つくね。つくねは冷凍のそこらのスーパーで買ってきたやつで失敗。
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by somuchfor | 2005-11-30 05:51 | 思い出 | Comments(2)
なつかしの店
大井町の裏さびれ飲み屋街のどんづまりに小(ショウ)って店があった。立ち食いのウナギやの手前。去年の春にたたんじゃったが。すこーし高い、手作り、こげ茶色の漆塗りカウンターに、すぐ上に照明が和紙でぐるぐる巻きにされて、7人で満員。サケは、日本酒と焼酎がそれぞれ4、5本あって、洋酒は余市のみ。カウンターの隅に、客達が持ってきたCDが積み上げられてる。その中にオレのエゴラッピンと渚ようこがあったはず。オレが3年前に通い始めたころはママさんが中にいて、いつも焼き魚か、ちょっとした気の利いた和食風のつまみを出してくれた。もともとは、ママの旦那が趣味で始めた店だが、体調崩して、主婦だったママが店に出た。いい日本酒といい焼酎がおいてあるんで、大井町のヒトリ飲みの酒飲みの溜まり場になった。ママはつきあい良くて、客がいれば朝までつきあう。
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by somuchfor | 2005-11-11 17:43 | 思い出 | Comments(0)
タンゴ
久しぶりだ。書くの。イタリア、ベネト州のシャルドネ白。ベネトって、フィレンツェのあたりかな。これ1本飲んで、インターネット将棋やりながら、聞いてた、暗黒大陸 じゃがたらの「タンゴ」。ギターのオトがゾクゾク。将棋は、私が最近凝っている、早石田三間飛車。もともとは江戸時代の石田検校という将棋指しが編み出して、昭和になって、升田幸三という天才が現代風にアレンジしたオシャレ戦法なのだがしかし、酔っ払うにつれ、じゃがたらにつれポカ続出。だが、タンゴ。これはこれだけで、名曲だ。この南蛮渡来というアルバム、フェラ・クティのパクリっぽい曲やらなんやら、ぐじゃぐじゃだが、この曲だけはいつ聞いてもナカナカ。じゃがたらは、江戸あけみという、なんちゅうんですかねえ、やっぱり、山本政志とか言うパンクな映画監督がいるけど、これが友達で、二人で、交番に自転車で突っ込んだら、お好み焼きをおごるという賭けをやり、山本監督が突っ込んで、警官と喧嘩になり、江戸あけみが仲裁に入るため、自分の額をカッターでほんとに切ってしまう、という流血好きなパンク。日本のイギー・ポップかイアン・デューリーなのか。まあ、アケミはアケミ。90年1月27日に風呂につかりながら死亡。「そらそれ」というアケミ遺稿、遺音アフリカバンドとの競演アルバムに入ってる、小玉和文の追悼文は悲しくて美しい。
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by somuchfor | 2005-10-10 01:09 | 思い出 | Comments(0)
ナイト・クラビング
昨日バジュワジュのライブをやった、UFOクラブで思い出した、昔のナイト・クラビング。
今頃になってようやく結婚しちまった、かつては茶色のソバージュだったロボット博士と20年ほど前の飲み歩き。
新宿2丁目のオトコの界隈の中にあった、パンク+スカ+ロックステディな店。今はタイ料理屋になってるあたり。置いてあるイスから飛び出たバネが目に残ってる。吉祥寺の曼荼羅でライブやるから来てよと兄ちゃんと夜中、稲垣足穂がどうたらこうたら話ししたような。
新玉線宮崎台駅前のホッピー居酒屋。そこのカレーうどん。ネットリ系でなく、さらさら系であまりにうまいので、どうやってつくるんですか?って聞いたら、ジャワカレーにほんだし入れるんだ、でがっくり。しかしうまかった。
青山のサル・パラダイスってレゲエ・バー。もうないかなあ。「狼達の午後」の主役はアル・パシーノだが、その弟を、ジョン・カザールがやってて名前がサル・パラダイス。最後、空港で額をぶち抜かれて死んでしまうが、その哀しい目が印象に残ってて、その名前がついてるだけでこのレゲエ・バー気に入った。

・・・・・
と以上書いたが、サル・パラダイスとは、ジャック・ケルアックの「路上」の主人公の名前みたいね。狼達の午後のジョンカザールは、サルバトーレでサルと呼ばれているらしい。全然違うじゃん。間違いでした。ケルアックもずっとケルワックだと思ってた。ケルアックに陳謝。
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by somuchfor | 2005-05-17 00:23 | 思い出 | Comments(2)
同窓会
28日(木) 営業時代のお客さんたちと業者側の我々人間とで計6人の同窓会。つまり宴会。会社側は皆それぞれ違うのだがその一人が、取締役なんかになっちゃったりするのでお祝いも兼ねる。10年前、客さんたち側の幹部候補研修に業者も呼ばれて合宿。マーケティング研修を10人のチームで徹夜でワーワー言いながら、米国市場をいかに攻略するか、なんてやったのが始まり。当時一番リーダー格で、オレが尊敬してた商社の課長はもういない。6年前ガンで死んだ。ヒトの葬式で不覚にも涙、流してしまったのは初めてだった。
で、最初、取締役ちゃんのおごりで、プレ宴会として、カナダ大使館の下のクラブ。ビールとワイン。居酒屋に移動して、焼酎をロック3杯。で、またまた移動で中華に。同じく青山の外苑前駅近くの雑居ビルの中の上海料理屋「上海港」。原宿に「世界港」という2号店もあるとのこと。豆苗いため、塩やきそば、すなぎものから揚げ等々。美味。麦焼酎を1杯。ここは6人で7000円、安い。
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by somuchfor | 2005-04-30 17:00 | 思い出 | Comments(0)
南東から来た男
b0067590_1728335.jpg昔見た映画で、気になるのが2本ある。「南東から来た男」とオランダの水の映画(続く)。

「南東から来た男」は、調べて見ると、87年アルゼンチン映画。監督エリセオ・スビエラ、音楽 ペドロ・アスナール、主演ウーゴ・ソト。会社入ってすぐのころ、渋谷のユーロスペースかどこかで見たと思う。精神病院患者としてやってきた男が、宇宙からのメッセージを持つと主張する。そして精神病院の中で徐々にリーダーとなっていく。アルゼンチン版の「カッコーの巣の上で」だが、「カッコーの巣の上で」ほどの社会的なメッセージは強くない。つまり精神病院での抑圧的な治療から患者の人権を守るとかいう観点は薄かったように思う。それよりも主人公の静かに強い、不思議なたたずまいが強く印象に残る。夜患者たちと主人公が踊るシーンが美しかった。

で、オランダの水の映画。見たときはなんか変な映画だなあ、と思った程度で、しかも途中寝てて全部見てない。しかし、後からこの18年くらいずーっと気になってんだよね。アムステルダムか、もしかしたらオランダではないヨーローパのどこかの港(これもはっきりしない)が舞台で、中世的なイメージの中で、でかい金属の玉、ビルを壊すようなやつね、あれが巨大な塔から海のような運河のようなところに落とされる、それが繰り返し繰り返し、ストーリーとは別に出てくる。そのストーリーも全く覚えてないんだが。そして常に雨がふったり、水がいたるところに溢れている。不思議な映画。(4/17:17:48)
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by somuchfor | 2005-04-15 13:28 | 思い出 | Comments(0)
がっちり飲みましょう
3日(木) 家近くのタイシュー的飲み屋で、沢の鶴を常温で3杯、ブタ串焼き、いかげそ揚げ、つくね。つくねはタレだね。うまくて2000円で、しあわせだ。実は極度の金欠で2500円しかなかったので、良かった、良かった。ぴったり持金以内でおさめられて。昔いとしこいしが司会してた、がっちり買いましょうの気持ち。こいしの「5万円7万円10万円運命の分かれ道....」の口上で始まり、その金額内でぴったり商品を買う番組。7時半ころ入ったら、ラジオのニュースで清原のホームランってのが流れてきて、隣のオヤジと思わず、フンとハモって笑ってしまった。なんで清原のホームランがニュースやねん?という気持ちですね。これがきっかけで、2人でこのあたり飲み屋圏の情報交換はじめる、大井町のすずらん通りをくねくねって入ったところの中華の餃子がうまいらしい。あと、新橋の駅前のあのビルの2階の居酒屋の昼の海鮮丼がウメーとか。調査せねば。
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by somuchfor | 2005-03-04 18:36 | 思い出 | Comments(2)
ゲロエロナンセンス
サケ飲みのサケ飲みによるサケ飲みためのブログと言いながら、ゲロについて今までちゃんと書いてこなかったことは、看板に偽りありと言われても仕方ないどころか、サケ飲みの風上にもおけないブログであった。
サケと言えば、ゲロなのである。エロもナンセンスも素敵だが、ゲロを吐くあの一瞬の苦しみの果ての恍惚は、実は、サケ飲みとは、マゾ以外の何者でもないということを証明しておるのかもしれない。
思えば、まともに初めてガンガン酒を飲んだのは高1の冬、友達4人と冬山にスキーに行って民宿でのホワイトであった。部屋がすごく寒くて、ストレートでぐびぐび飲んでもあまり酔わず、「酒ってあんまり酔わへんなあ、中条?」と不遜にも友と語らったのを思い出す。次のその瞬間、2人ほどがトイレに駆け込み人事不省となった。中条と私はなんとか一命をとりとめたが、翌日の朝は美しい太陽と白い雪の前に、頭、ガンガンの初めての二日酔い。しかしゲロはなしで。まだかわいいもんだった。後年、はたちをすぎ、リフトの上から、白い新雪に、前日飲んだ素材を基に、オレンジ色のシュプールを描くオトコに成長するまでは、つまりオレンジジュースは消化に悪いということを学習するにはまだまだ時を要する。
ゲロとサケという、人生の深奥に存在する神秘を解明せんがため、ヒトは時に安酒をいっきに呷るのか。10年ほど前、営業時代に府中で飲み会があり、いつものように安い日本酒をばかばか飲んでしまった。飲みは比較的早く終わり、後輩と京王線から新宿に向かったが、安いポン酒と京王線の揺れが、その日の私の胃に執拗なボディブローをかけてきた。胃でのガード、食道での必死のクリンチも空しく、まるで美しい夏の夕陽が着実に西の夏空に沈んでいくように、あの酸っぱいなにものかが、喉からわが口腔に進出してくる。まだ9時過ぎのヒト多い電車の中だ。私は、「くそ!ここで負けてたまるか、岩野よ!」とココロの中で叫ぶが、ちょうど前に座ってる後輩の岩野は足投げ出し、だらしなく、薄目は開けながら、半分寝てしまっている。私はおたふくのように口をふくらませ耐えていたが、一瞬観念した。上下から堅く閉じていた唇の間から、液体であり固体であるものが流れ出てくる。その時だ、わが人体が、奇跡的な生涯一のハイパフォーマンス見せたのは。

まっ、つまり、2cmほど口から流れ出たゲロを、おれはもう一回口の中に吸いあげたんだよね。その瞬間おれの前に座ってた岩野は目丸くして、その一瞬だけおれを尊敬してくれたみたい。
しかし、次の忘れもしない布田って駅に電車が止まると、おれは耐え切れず、電車降りて、布田のホームから線路に思いっきり吐きました。シアワセ。で次に気がついたときは、駅員が来て、もう駅閉めますから、外に出てください、とベンチに横たわってたおれを情け容赦なく追い出したのであります。

何が言いたい?
今日も浦霞。

ps. 「酒とつまみ」創刊号の特集は、第1回ゲロ自慢座談会「飲んだら吐くな、吐くなら飲むなと言われても……」。いい雑誌。
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by somuchfor | 2005-02-27 22:58 | 思い出 | Comments(4)