変態あるいはロリコンの正統的美
ロリコンは、ナボコフのロリータという少女偏愛小説から出てきた言葉だが、ナボコフがその小説の第1版の表紙画家に指定して採用されたのが、バルテュスだ。日曜、上野の都美術館でバルテュス展をやっていたので見てきた。画はほとんど、少女、少女、少女だ。バルテュスは少女達を偏愛しているように見える。女性として成熟する、その直前の少女の不思議なたゆたう、艶のある動き、その美しさを表現する。先に、ナボコフのロリ-タ(実は私はあんまり興味がないのでこの小説を読んでいない)の表紙の話をしたが、後日談として、バルテュス自身は、ロリ-タの表紙に自身の画が飾られたことを後悔していたらしい。彼は、自身の画が少女のエロティシズムを表現しているという解釈を否定している。彼が言うには、画の理想は、「宗教的なモチーフを使わずに宗教画を描くことだ」ということらしい。彼が表現しようとしていたものは、美しさの神秘、宗教性なき宗教的美、なのだろうか。その土台は、15世紀ルネサンス時代の宗教画だった。私は、バルテュスの表現しようとした美の神秘に、無理なこじつけに思われるかもしれないが、マイルスがエレクトリックに走る直前のショーター、ハンコック、トニーウイリアムス、ロンカーターでやったESPとかソーサラーとかネフェルティティとかのハンコック、ショーターのオト達を思い出す。ESPなら、リトルワン、R.Jやアイリス、ソーサラーならピ-・ウィー、ネフェルティティなら、フォール、ライオット。ハンコック作の曲が多い。ショーターの同じ時期のアルバム、ソプラノの傑作、Odyssey of Iska も同じ美しさを持っている。そのオト達は、空間にただようけむりのようにとりとめもなくうごめき混沌を形成するが、それに、ハンコック、ショーターらの美意識が、秩序化されない混沌にかすかな形を与え、確かな美を形成する。それがバルテュスの宗教性なき宗教画に重なって見えた、そういう日曜の午後。
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ちなみにバルテュスは日本人の妻をめとり、日本びいきでもあった。バルテュスのスイス山荘に招待され、三味線を弾く勝新太郎の動画もある。映画で公開されたものらしい。勝新太郎は、こいつはこいつで、三味線弾きの息子に生まれ、三味線の天才でもあった。

ああ、それから、わたくしの好みとしては、この世界にただ一人、立ち向かわざる得ない、潔癖を唯一の武器として、父なる現実と戦う、すべての、孤立無援の少女たち、が、美しいとも思うのだが、それと、バルテュスの美意識とつながるのかどうかはよくわからない。おんなは皆すべて、そういう少女たちをココロに抱えてると、おれは思ってるのだが。
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by somuchfor | 2014-05-28 16:57 | Comments(0)
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